あわら湯かけまつり創始者インタビュー 「温泉と祭りの融合」20周年の軌跡 - あわら市観光協会

あわら湯かけまつり創始者インタビュー 「温泉と祭りの融合」20周年の軌跡

2025.08.04

あわらの夏を熱く沸かせる――地元民が歓喜に包まれる真夏の奇祭、『あわら湯かけ祭り』。毎年8月8・9日の夕暮れ、湯のまち駅前ロータリーを舞台に、御輿を狙って湯桶や水鉄砲が飛び交う“お湯かけじゃあ”、そして翌日には老若男女が輪になって踊る「民踊の夕べ」と、福井流“饅頭まき”が祭りを締めくくる。温泉と笑顔にあふれた2日間は、まさに地元の誇りです。

本日は、この奇祭を生み出した立役者、創設者の美濃屋氏に、お話を伺ってみました。語っていただくのは、「真夏の湯まみれに秘められた物語」「湯かけ祭りに託した“地域への願い”」、そしてこれから描く「未来への展望」。まずは、その情熱が最初に動いた瞬間――“湯かけ祭りを始めよう”と心に決めたきっかけから、じっくりとお聞かせください。

美濃屋氏
2004年に芦原町と金津町が合併してあわら市が誕生し、2005年には両町の商工会も合併してあわら市商工会が誕生しました。この合併を機に、あわら市として一緒に何か取り組めないかと考えたんです。これまで開催してきた芦原温泉夏祭りを発展させ、芦原の象徴であるお湯と金津の祭りの象徴である花車を融合させ、温泉場らしい祭りとして運営できないかと考えました。

津田
20年間続ける中で、地元の住民の方々との関わりや支えがどのようにあったか、印象的な出来事があれば教えてください。

美濃屋氏
まずはこの祭りをやる!と決め取り組んだ時は、金津地区のメンバーの協力が何よりもうれしかったですね。また当初、従来とは違う形と運営で祭りを開催するようになったのですが、地元温泉三区の皆様方にも説明させていただいたところ、快くご協力いただけたことも、とてもうれしかったです。コロナ禍には祭り自体は中止となりましたが、引き継いでいただいた実行委員の皆様が「子供達のために」と各園をまわり湯かけを楽しんでいただいたことも、嬉しい出来事の一つです。

津田
このお祭りを通じて、地域の子どもたちや若い世代にどんな気持ちや文化、メッセージを伝えていきたいと考えていますか?

美濃屋氏
普段は知らない人にお湯をかけたら怒られますが、この日だけは無礼講。あわら市の宝であるお湯を思う存分楽しんでもらえる祭りとして継承していきたいです。
と同時に、湯かけには子供達にあわら市を誇りに思ってくれたり、思い出したり、戻ってきたり、彼女、彼氏をつれてきたりと、生まれ故郷のあわら市にはこんなに楽しく、こんなに馬鹿らしい祭りがあると心に留めていてほしいんです。「お湯と共に生きる」じゃないですけど、そんな気もしています。

津田
祭りの準備や運営の中で住民の方の声や希望を取り入れたこと、苦労されたこと、それをどう乗り越えてきたかなど教えてください。

美濃屋氏
とにかく楽しませるためにはお湯の量です。最初は1,500~2,000ℓから始まった湯量ですが、「もっと楽しみたい!」「こんだけしかないのか!」などの声に応えるため、実行委員会としてどう対応し楽しんでいただくかを毎年考えてきました。埋設パイプをカットした貯湯パイプを作成したり、散水車を増台したり、湯の収集方法を模索したり、簡易プールを設置したりと、今では約50トンの湯量を提供するまでになりました。

津田
このお祭りが地域にもたらしたと感じる変化や、地域の魅力・価値がどのように高まったと思われますか?また”地域の誇り”となっていると感じた瞬間はありますか?

美濃屋氏
ちょうど私の娘が小学1年生の時が第一回の湯かけまつりでした。勝手に湯かけ第一世代と言っています。そんな子供達が今でも湯かけに参加してくれたり、離れていても湯かけを忘れずにいてくれたり、あわら市発展のために尽力してくれたりするのを目にすると、大変うれしく感じます。そんな子供たちが「あわらで生まれて良かった。このまちは最高に楽しい」と思ってもらえるようにこの先もずっと次の世代に継承されることを願います。

津田
外から来る人たちにとっても魅力あるものにしながら、住民が”自分たちの祭り”と感じ続けられるように意識していることはありますか?

美濃屋氏
湯かけまつりとしてある程度基本的なことは決まっていますが、完成はしていません。10のうち3はしっかりと守りながら、7は自由でいいと思っています。この自由は時代とともに変化したり、自分たちが楽しめるという部分です。やっぱりやっている人たちが楽しくないと、見てる人も楽しくないですからね。

津田
祭りを通して再発見した地域の魅力や、人とのつながりの価値について教えてください。

美濃屋氏
やっぱり温泉はいいですね。湯かけを中心とした楽しみ方は県内ではあわらでしか楽しめないコンテンツだと思います。また2日目の踊りからの饅頭撒き!この饅頭撒きも私たちが子供のころは日常的によく目にしていた福井ならではの風習ですよね。

でも湯かけを提案した2005年ころはあまり見る機会も無い状況でした。だったら「俺たちで盛大に復活させよ~ぜ!」とフィナーレに取り入れました。福井ならではの魅力を感じる2日間を通じて、温泉と共に生きるワクワクするあわら市を感じていただきたいですね。

津田
これからの未来に向けて、地域の人と一緒につくっていきたいお祭りのかたちや、新たな試みについて教えてください。

美濃屋氏
温泉を通じていろんな人たちとのツナガリが、新しいあわら温泉を切り開いていくような気がします。同じことをし続ければ、きっと同じような未来にしか出会えない。だったら、あえて少しでも違うことをすることにより新しい未来にツナゲル。

今までできなかったことも、いつかはできるかもしれない。大切な何かに気づき大きく変わるかもしれない。そしていつの日か夢は現実になっていくかもしれない。そんなワクワクする可能性をこの街で一緒に感じ続けましょう!大切な人を幸せにするまちへ。「未来のために今できることを♡。」

津田
最後に、湯かけまつりのフィナーレについて教えてください。

美濃屋氏
湯かけまつり「お湯かけじゃぁぁ~」のフィナーレ曲はず~っとB’zの「ultra soul」です。20周年目の今年も最後はやっぱりこの曲でしょう。
今年もまた楽しい湯かけまつりを開催してくださる実行委員会の皆様に心からの敬意と感謝の気持ちを込め、提案させていただきました案件は、見事に却下されましたが…「それでもお湯かけは永久に不滅です!」

 

おわりに
インタビューにご協力いただいた美濃屋さんは、まさに”遊び心”で生きる達人。失礼を承知でそう言いたくなるほど、日々を楽しみ、人を楽しませることに全力な方です。そしてその根底には、何よりも強い「あわら愛」があります。

旅館業という枠を超えて、「みんなが楽しくあるために」「あわらがもっと楽しくなるために」と、地域の未来を本気で思い描いている姿が印象的でした。その想いは、これからの時代を担う子どもたちや若者たちに、言葉と行動を通じてしっかりと伝わっていくことでしょう。

そして、そんな”あわらぶチルドレン”が増えていけば、このまち全体がもっと魅力的に、もっと愛にあふれた場所へと育っていく。きっと、「そんな町なら行ってみたい!」と思う人が、これからますます増えていくに違いありません。

あわら市の未来に、ますます期待が高まります。